痕跡

私の痕跡です。

生存と近況報告など

一応生きてます。曲がりになりにも、這いつくばっても、多少嫌になりそうな知らせを聞いたとしても。

(7/17 21:03追記 時間がない人は総括から読んでください。言いたいことはそこにまとめてあります。 )

 

5,6,7月前半は自分のために時間を使っていた。

修士課程にいるはずだが、授業や、勉強を疎かにしてもやりたいことを消化したかったから。

焼肉を食べなかった週はなかった。

就活の結果とかそこらへんの記事はまた近いうちに書きます。

 

facebookと重複する内容もあるかもしれないけど、今回は近況報告です。

まあ、この曲でも聴きながら見てください。

youtu.be

 

ざっと書くと

5月

ドライブしたり、久々に会った友達とトランポリンしたり、焼肉を食べたり

焼肉を食べたり、焼肉を食べたり、2回くらいアルパカを見に日帰りで栃木に行ったり、筋トレを始めたり、

デスクトップ初期化したり、焼肉食べたり、デュアルモニターにしたり、焼肉食べたりしていた。

 

それから、5月終わりの方にLTデビューを果たした。エンジニアとして働くなら収集した知識を発信する習慣はつけていきたい。ブログなり、LTなり、できるならgithubとかにも。

 

LT行った際の飲み会では様々な人にお世話になりました。

まだ自分のキャリアは決めかねてますが、情報収集は常に心がけて整理はしてます。

まだ猶予はあるけど時間が差し迫ってくることもわかっている。けど、もう少し悩んだり、いろんなものを見る機会が必要かなあって思ってます。

折を見て、相談のメールやLineを送らさせてください。

 

6月

6月1日に企業と握手会をして、公式的に就職活動が終わった。

もちろんこの月も焼肉を食べたり、音質の良いヘッドホン買ったり、トランポリンしたり、アーチェリーしたり、焼肉食べたり、クロスバイクを買ったり、焼肉を食べたり、サイクリングしたり、内定者懇親会出たり、焼肉食べたり、映画見たり、焼肉食べたり、映画見たり、マンガを一気に読んだりしていた。

ちなみにこの時期くらいからDaiGoの動画をサブスクライブし始めた。とてもオススメ。

 

羽田空港で飛行機見たり、あてもなく、ゲートブリッジ、若洲公園から、浦安まで海岸線をドライブしたりしたのは、結構楽しかった。

夜中の栃木の山はまだ寒かったことを思い出す。野生のシカが道路で歩いていたり、目の前数メートルの近さで目視できたのは今も覚えている。

 

6月末か7月初めに若干や生きるのをやめたくなる知らせを聞いた。

それと同時に鼓舞してやろうとも思う自分がいた。

 

 

7月前半

大学院の様々な事務手続きをすませたり、本を大学の図書館から借りまくったり、引き続き好きな漫画を一気に読んだり、焼肉食べたり、半沢直樹、リーガルハイを一気に見たりしていた。

 

久々に大学のつながり(指導教授、サークルなどの交友)の飲み会に参加をすると、何故かホッとしつつも感傷に浸っている自分がいた。

10年くらい細くも長いつながりのあった友人が、沖縄にいくと聞き、遠くなってしまったな、と感じた。

自分の周りにいる、いろんな人の移り変わり、何をしているか、といったことに少し敏感だったように思える。

 

総括とか感想とか

この3ヵ月弱を通して、焼肉を食べなかった週が本当になかった。たまに週2回食らった。

それくらいに肉を食らった。この20と何年間か生きた中でこれくらい密度の濃い焼肉期間はなかったことだろう。

 

この3ヶ月弱を通して、いい音にたくさん出会った。

それくらい良い買い物をしたと思う。ありがとう、SONY

おかげで毎日自分の好きな曲に集中して物思いにふけりながら移動を楽しむことができる。

 

この3ヶ月弱を通して、たくさんの人に出会った。

細くも長かったつながりのあった友人と久々に会ったり

就活中に世話になった人らと終了後に会って称え合ったり

多少は毛嫌いしていた時期の会った人と久々に料理を摘んで繋がったり

新しい交友関係が社会集団への所属とともに築くことができた。

この手の人と人のつながりというのは、良くも悪くも縁という言葉に全て内包される気がする。好きにはなれないけれども、ストンと腑に落ちる概念だ。

これに身を委ねるのも悪くないとも思うし、うまく管理し、自分でコントロールすることができれば良いのにとも思う。

 

 

そして、これは就活中も同じことを考えていたのだが、これら一つ一つの活動のなかで、思い出すこと、連想することが多々あった。

自分自信を焚きつけ、心を焦がしたことについてだ。

数年前くらいから、自分は過去の自分と比べて変われたのだろうかと、苦しむことがある。

変われたとして、それは他人にとって好まれやすいものなのか、それとも悪くなってしまったのか、自分がどうあるべきか、などとうんうん悩む。

多分これは自分を一生付いて回り、自分の感情をずぶずぶに濡らし、強く締め付けるものになる。そしてこれは年々強くなっている。

 

来年3月、遅くとも、社会人になってしまう前に、学生のうちに、どうか解決させたいものだ。

 

 

 

さて、これから2019年は後半に入る。

前半では相当自分をよく外見から見て都合が良いように作り上げたような気もするから

これからは内側の自分から見て都合が良いように作り上げようと思う。

 

これは、自分だけでなくいろんな人に言いたいのだけど

プレッシャーやプライド、見栄で、自分にとっての本質が歪んでしまったり、本来自分にとってのあるべきところから外れることはとても悲しい。

それは治療が遅ければ遅いほど手遅れになる。

だから、自分にとっての本質がどこにあって、自分がそもそも誰なのかをきちんと見てあげる必要がある。きちんと本音を自分から引き出してほしい。

自分はそれで過去に自分を閉じ込めて、失敗しているから二の舞を踏んでほしくない。

 

でも、がむしゃらにとりあえずチャレンジして足掻いた先に見えるものもあるはずだから、頑張ってみてほしい、本当に頑張れ。

 

どこかのタイミングで、ふと偶然にでもいい、自分を焦がすものや、この文章を本当に必要とされる人間の元へ届くことを心から願う。

 

じゃあ、また。